昔、(たぶん新興宗教の)お坊さんが言っていたことが気にかかっています。
ゲームに熱中する引きこもりについて語ったことです。
彼らはゲームをしている間、自然と座禅に近い姿勢をとっている。
指先だけは動かしているが、身動きせず座り続けているのは座禅に近い。
お坊さんが言いたいことはこうです。
彼らは知らず知らずに霊能力を高めている。
オタクの意識パワーが増大していくと、とんでもないことになる。
オタクが世界を変えるのだ!
ということでした……。
じゃあお坊さんもゲームしながら座禅したら?
と思いました……。
まあこれは明らかに無理筋。
バイクと悟り
しかしバイクで延々と流している思うことがあります。
チャクラ出てるな~と思う瞬間があります。
ツーリング中は瞑想状態に近くないですか?
とくに6時間以上のロングツーリング。
信号も前走車もいない山道や林道を延々と走っていると自然と悟りを開けませんか?
ある程度ペースは出しているのですよ。
それなりに注意すべきシチュエーションもある。
でも、無意識がすべてをカバーする。
クランクに近い厳しいカーブも、
突然車線に割り込んできた車両に対しても、
路面に浮いた砂利やコケに対しても、
ほとんど完璧な対応ができている
……無意識のうちに!
人によっては思うでしょう。
「無意識状態で運転するなんて極まりない。事故が起きたらどうするのか」
逆です。
事故が起きるのは意識が優位になっているとき。
気が立っていたり、
かっこつけてやろうと思うとき。
平静な気持ちでバイクを運転すると、完璧に近い運転ができている。
無意識のうちに!
意識を閉じているけどもすべてに開かれている感覚……まさに瞑想状態、というわけです。
悟りを開こう
そんなわけで、バイクに乗っているのは座禅に近いと感じる私でした。
私はスピリチュアリズムはあまり好きではないですが、以下のことは重要だと思います。
スマホに触れず、パソコンに触れず、テレビを見ない。
ただ風を感じ、エンジン音を感じ、自然の中を駆け抜ける。
そうやって一人で過ごす時間。
これらは現代人に圧倒的に欠けているはず。
バイクに乗ることはたぶんクリエイティビティに良いはずです。そしてたぶん悟りに近い趣味です。
……ゲームよりも確実に!
CG125 サイケデリック・カスタム
というわけで? サイケなカスタムを見てみましょう。
この色彩でデザインが破綻ないってすごいです。
これ、ベースは1980年のCG125みたいです。
やっぱりシンプルなカスタムは前後ドラムの方がすっきりしますね。
なんとなくエキパイの取り回しに不安を覚えます。
このバイク、意外とフレームがカスタム向き。
剛性はなさそうだが、カフェ・クラシックカスタム向きのド直線フレーム。「好きなシート・タンク乗っけてください」と言ってるみたい。
しかもスイングアームまでパイプ。自転車みたいだ。
調べたらこんなカスタムもあった。ヴィンテージ感がやばいですね~。
フォーク曲がってるように見えるけど、目の錯覚かな?
タンクはそのままでもけっこういける。
かっこいい。ブレーキはドラムの方が好きだけど。
調べたらCG125って、新車で乗り出し14万円だと!
Macbookより安い笑
自分のガレージがあったら弄り回したい……。
が、カスタムしても荷物は乗らない泥は跳ねるマフラーはうるさいで乗らなくなるんだろうなあ……。
これも一種の悟り、ということで。