とりあえずバイクに乗りたかったので
とりあえずバイクに乗りたいので適当な目的地を探した。
今日は割と暑いので、山を目指す。
画像はそのへんの未舗装路。
こういうがっちりした未舗装路をアクセル全開で飛ばしてみたいけど、路面があれるのでそういうことはしないのだ。
事故発生
途中、車三台の事故があった。
大渋滞。
- スポーツカーらしき車(軽症)
- ミニバン(重症)
- 軽自動車(たぶん廃車)
みな、何百時間も働いて、やっと自分のものにした車なのだろう。それが一瞬でおじゃん。事故というのはやるせないものだ。
現代では、モータリゼーションを前提に社会が構築されている。田舎の人は数十キロの道のりをスーパーや病院に通うために用いている。ほとんど車を買うのは強制のようなものだ。
その結果が、事故。身体を傷つけ、財産を傷つける。
バイクに乗っている立場で言うのはなんだが、「だれもが車に乗るのが当たり前」という社会は狂っている。
私は自動車のないインドネシアの小さな島に滞在したことがある。道路は真ん中を歩けるし、アスファルトではなくて未舗装路で足にやさしい。何より騒音やヘッドライトの光がないので非常に落ち着く気分になったことを覚えている。
スペインなどでは自動車の入れない街があるようだが、そういう街に憧れる。
危険だし、空気を汚すし、うるさいし、邪魔だし、まぶしい。
乗らない人にとって、自動車はいいことがない乗り物である。
Ninja1000と一緒に走る。
上の写真のNinja1000は、たくさん荷物を載せた女性ライダーだった。
たまたま道が一緒で30kmくらい一緒に走ったと思う。たぶん、同じ目的地(茶臼山)で、Google Mapのナビを使用していたのだろう。無理はないがストレスもない、適切なペース。
私が後ろについていったのだが、途中で先に行けとの合図あり。
抜かし際に手を振った。
女性でリッターバイクでたぶんソロでのロングツーリング。珍しいけど、最近はそういう人が増えているのかもしれない。
旦那や彼氏の趣味に合わせておっかなびっくり大型バイク乗っている女性を見ることが多い。
微笑ましい一方で女性もバイクもかわいそうになる。
牛に遭遇。私たちはこれを食べているのだ
茶臼山に行く途中、牛がいた。
牛がいたので、とまって眺めた。
標高は1000m。これくらいの高原なら、牛が食べやすいやわらかい牧草が育つのだろう。
牛たちは、私をじっと見つめてくる。視線恐怖症では耐えられないだろう笑
私たちはこの生き物を食べている。
そう考えると不思議な気分になる。
私が数十匹の牛を前にして感じたことは、第一に恐怖。電気柵はあるにしても、それを突き破って頭突きを食らうかもしれない。一対一では絶対に敵わない。
第二に、親近感。牛を見ていると、彼らに人格を認めないことは難しいように思われる。興味津々というように私を見つめる牛に対峙すると、心の底を見透かされる気分になる。
そんな生き物を、私たちは殺して食べているという感覚が不思議である。
私は牛肉は好きではないのであまり食べないが、より積極的に食べないようにしようと思った。
私は自分で殺せる動物しか食べたくない。鶏は殺せる。魚は殺せる。だから食べる。しかし、豚や牛は難しい。
茶臼山からの帰り
茶臼山へ行ってみたものの、あまり気分が乗らないのでさっさと帰ってしまった。なので写真はなし。
途中見つけた林道を走ってみる。が、あまり楽しい道ではないのですぐ引き返してしまった。
森が死んでいるような林道は楽しくない。そして、林道があるところの大半は森が死んでいるのである。
まだ走り屋っているんだな
帰りがけにダムを見つけた。
ダムを渡った先では、ツナギを着たVT250FやNSR250が走っていた。あとは最新のNinja系が多かった。
他のブログ(01 HONDA VT250F 改 - これまでのバイク歴)からの借り物。VT250Fといえば、1982年のバイクだ。もはや36年もの。見てくれよこのフロントブレーキ、インボードディスクだぜ。もう一度言うが、インボードディスクだ!
Uターンしてゆくので見ていると、いわゆる「ローリング」をしているみたいだった笑 つまり、同じ道を往復して何度も何度も走るのである。
思わず追っかけてみるが、しっかり膝をすっているし、車体がペタペタ寝ていて、うまい! と感嘆した。当然だがすぐさま引き離されたが。
それにしても、こういう道にありがちなことに、路面に凸凹の加工がされており振動がひどい。走りにくいだろうな、と思った。
走り屋ってまだいるんだな。
膝をどれだけ擦れるか。どれだけ早く走れるか。ブサイクでもチビでも、うまくバイクを乗りこなせれば、偉い。
そういった世界は過酷だが、何か温かいものを感じる。
終わりに
走行距離200km程度。晴れたらもっと茶臼山は楽しそうだ。