TW225で日本一周

放浪癖のあるおっさんのTW225日誌

ひとりキャンプは悟りを開けそうである

単独キャンプをしてきた。

 

だれもこない場所。

人のいないところ。

車の音も聞こえないところ。

 

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食事を終えて焚き火を見つめる。

 

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ぼんやりと自分の人生を考える。

 

なんだか不思議なものだ。

 

私には恋人がいない。

友達もいない。

私の理解者はいない(ネット上にはわずかにいる)。

 

ひとりぽっちで生きてきた。

 

ひとりは快適で満足だ。

ふつう「きずな」は、自由に反するものだから。

 

現代の孤独

しかし、やはり寂しさを感じる。

 

人類は定住をはじめる前――つまり農耕が始まるまでの数十万年間、

永くキャンプ生活をしてきた。

もっとも、テントはなくてその都度、家を「建築」したのだけど。

 

一日の終わりの時間は、ひとりで過ごすことはなかっただろう。火を囲んだその場所には、たわいのない会話、ふざけあい、昔話、音楽や踊りがあったはずだ。

 

人類にとって夜闇は恐ろしいものだったとされる。

 

しかし、実は温かい休息や楽しみをあらわすものだったかもしれない。

そうでなければ、これほど夜の焚き火が心を落ち着かせるものではないはずだ。

 

さて、現代の私の眼前にあるのはなにか。

ただ、沈黙の闇が広がっている

 

これはやるせないことだ。

 

だから私は火を見つめながら、いろんな人の顔を思い浮かべた。

私の味方だった人。私を侮辱した人。私を影で支えた人。

 

うすうす気づいていたことを再確認する。

 

私には他者が必要だ。

そして同じように、あらゆる人間には他者が必要だ。

賢人は世を離れる

つい最近まで、私はひとりで生きてゆく気でいた。

 

知識を求める者はひとりで歩まなければいけない。

他者に好かれることは自分に嫌われることだ。

 

そのように考えていた。

 

私と同じような性格をもつ人には、これまでの人生の間に何人か会った。

彼らもひとりで生きていく決意をしていた。

 

彼らは実際に陸の孤島と呼ばれるところで晴耕雨読をしたり、

海外で生きることを決めた人たちもいる。

 

不思議なことに、私と彼らの関係は長続きしないものだった。

私たちは同極の磁石のように、かえってふつうの人々とよりも反発した。

 

いや、心情的、霊的? には長続きするだろう。

私は彼らをずっと覚えているだろうし、彼らも私を覚えていると思う。

 

しかし、私たちは互いに突き放す。これが現実である。

無情のようだが、愛情である。

互いに互いの孤独を尊重するのだ。

賢者は人間的である

私は孤独な人が好きだ。

 

孤独な人は、他者よりも自己と向き合う。

他者よりも自然と向き合う。

 

だから、わいわい・がやがやの社会生活のなかで生きる人よりも、

四六時中だれかと一緒にいなければ気がすまない人よりも、

彼らは「常識的」だ。あるいは「人間的」。

 

彼らは自分の人生についてしっかり考える。

社会がどうなっていて、どうあるべきなのか、ということを考える。

 

彼らはもちろん孤独に倦んでいる。

「沈黙の闇」を、私と同じくらい味わっているはずだ。

 

でも、彼らは不平ひとつ言わず耐え忍ぶ。

彼らは自らの冷たい境遇を、みずから望んで進んだ道だと考えている。

 

でも、ほんとうにそうなのだろうか?

だれもが天才の社会

Everyone is a genius ――と、アインシュタインは言った。だれもが天才である、という意味だ。

 

アインシュタインはだれもが認める天才である。

 

天才ほど愚人に悩まされる人はいない。実際、世の中を支配するのは往々にして愚人だからである。

 

しかし、アインシュタインは「だれもが天才だ」という。

 

私は彼の考えに賛同する。

愚人はただ、既存の価値観や社会慣習に縛られているだけである。

 

もしそれらから解放されれば、彼らは天才になることができる。

現実には愚人のまま生涯を終える人が多い。

しかし、彼らは潜在的には天才なのである。

 

天才とは、自然な人である。

 

ありのままに物事を見つめ、

ありのままに考え、

ありのままに主張する。

 

ただ、これだけのことである。 

 

そういった人々は、現代では

「異常者」

「危険人物」

「精神障害者」

として扱われる。

 

だからこそ、天才は孤独を求めるようになる。

世の中に絶望し、人間に絶望し、隠遁するようになる。

 

あるいは大衆ーー「陽気なロボット」のようにふるまおうとする。これは長く続かないけど。

 

これがこの世の中の実相である。

 

しかし、私は夢想してやまない。

 

だれもが自分の天才性を発揮することを。

つまり、だれもが自由で、自然で、生を存分に楽しめるような世界を。

天才が自らを異境へと追いやるのではなく、互いに認めあい、協調して生きていける社会を。

 

だれもが天才となれば、それは可能なはずである。

 

終わりに 

与太話が長くなったので、帰ります。

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今日の発見は、雨の降った日よりも、その翌日の方が焚き木のつきが悪いことだ!

 

そして、ダウンジャケットの携行を忘れると、寒くて眠れないことがあるということ。 

 

キャンプは楽しい。ぼーっと座ってるときに、たくさんのことを考えることができる。また早くキャンプがしたいです。